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【藤花会】プチ木村ゼミ 映画『どうすればよかったか?』を観て 自由討論会
こんにちは!学校法人藤仁館学園グループ同窓会“藤花会”の事務局です!
本日は、藤花会同窓生の“プチ木村ゼミ”の活動をご紹介します!
本学通信教育課程の木村雅人先生の教え子たち有志の集まり“木村ゼミ”は、現在、ゼミ生19名で活動中です!ゼミ生(当校卒業生で構成)は年々増加中で、活動も広がりつつあります。特に今回は従来型の木村ゼミと違った、映画鑑賞後の自由討論会が開催されました。
この木村ゼミが発足したきっかけは、2023年3月に開催しました藤花会イベント“Think the Career”の出会いからです。理想とする福祉を追求する熱い想いをもった同窓生がコミュニティを作り、ICTを活用し、日々の業務を相談したり、「福祉を実践する現場にこそ教科書で学べない真実へのヒント」を探しに施設見学を行うのがメインで、今回のような自由な意見交換会なども開催しております!
木村ゼミは、いくつもある正しい答えを探すために集まる仲間で合言葉は「真実はいつもひとつ!」です。
(Think the Careerの様子はこちら↓)
https://www.tojinkan.ac.jp/news/7246/
今回は、昭和の終わりから平成・令和へと時代をわたる統合失調症を発症した姉と家族全体のドキュメンタリー映画「どうすればよかったか?」の自由討論会を、ご紹介させて頂きます!ちなみに同映画は、社会各方面に反響を呼んで異例のロングランヒット作品となりました。
ことの始まりは、「社会福祉法人川の郷」生活介護おれんじ副施設長である渡辺TAKAKOさんが、同映画を鑑賞したあとにゼミのグループLINEでつぶやいた、「いろいろ感じてます」とのメッセージがきっかけとなり、好奇心旺盛なゼミメンバーが一斉に反応しました。既に福祉・心理・教育分野や社会問題に関心のある層には話題作品となっていましたので、グループの中でも様々な情報交換が始まりました。そのような背景があって、今回のプチ木村ゼミ「どうすればよかったか?」自由討論会の開催が決まりました。
では、プチ木村ゼミ当日の内容をご紹介します!
●当日は、浅野ゼミ長含め5名の開催となりました。参加メンバーは、TAKAKOさん、浅野和則ゼミ長、本間康平さん、木坂仁子さん、大谷英二進行役。そして自由討論はTAKAKOさんのひと言ご挨拶からスタートしました。
TAKAKOさんは普段はあまりLINEに積極的にメッセージされる人ではないのですが(うんうん、たしかにその通り)、この映画は福祉の仕事に携わる仲間たちや共通課題を持っている人に是非観てもらいたいなと思って、珍しくみんなにメッセージを発信されたとのこと。
そのTAKAKOさんの思いはしっかりゼミの仲間に届いており、浅野ゼミ長からも「TAKAKOさん、こんなにいい映画を紹介してくれて本当にありがとう。」と返礼のゼミ長ご挨拶をいただきました。それから、本間さんは豪雪の時期に、山形県から雪をかき分けながら車をとばして仙台まで直行直帰で往復される、という離れ業を成し遂げられて映画鑑賞を実現されました。まさに北の大地を縦横無尽に駆け回る木村ゼミ新進気鋭のエースといった感じです。きっとお勤め先では、「気は優しくて力持ち」みたいな存在感で、周りから頼りにされていらっしゃるのだろうと想像しました。😊
●映画のあらすじ振り返り。
ごくありふれたお正月の家族写真からスタートするが、どこかに不調和感が存在した。画面はすぐに録音音声のみに切り替わり、一挙に切迫感のある女性の金切り声が聞こえてきた。「どうして、家から分裂症が出なきゃなんないの?」母親の声なのか。1983年に統合失調症を発症した姉は、医学部に在学中だった。当時は統合失調症を精神分裂病と言っていて、座敷牢に閉じ込めてきた最近までの歴史が証明する通り、誰もが接触を避けその全てを閉じ込めてしまうような社会背景があった。その精神疾患者に対する差別や偏見などの社会通念は、間違いなくその後の藤野家全体で展開されていった統合失調症を認めない姿勢や、自宅内での監禁などに繋がっていったことと思う。
藤野監督は弟として藤野家の長男としてどうすればいいのかわからないまま、自身もうつ病を患い医者に相談し記録を残していくことで、自分と家族の進むあり方を20年以上考え続けた。
そしてこの映画の転機は、母親が認知症を患ったタイミングで姉を入院させることができ医療行為を介入させることができたタイミングだったのではないか。退院後の姉の容貌やリアクションは、それ以前とは見違えるほど変わっており、カメラに向かって笑顔で何度かVサインができるようになっていたことが印象的だった。
藤野監督は最後に父親にインタビューを試みたが、姉の病状を隠したかったのは母親の意向だったと言われ、少しだけ質問し直しながらもそれ以上父親を責め立てることはしなかった。藤野監督の家族全員に対する深い愛情や複雑な思いを感じる映画のクライマックス場面だったのではないか。それほどまでに簡単に割り切って原因や責任を言及できない背景と、愚かで尊い人間ならではの家族ドラマが展開されていたのだろうと推察した。
長い年月をかけて藤野監督は「どうしたらいいのか」悩み続け、きっと今でも「どうしたらよったか」わからないままなのだと思う。自分自身を責めてしまったこともあるだろうし、両親も自分も責め続ける気持ちにもなれないのだろう。それが父親インタビュー場面に込められていたように感じ印象深かった。
●自由討論の要約
浅野ゼミ長:
両親2人が医者だったから、姉も医者になろうと勉強していたのだろう。そんな時に統合失調症を発症してしまった。もし今も生きていたら姉は68歳になっている。私より2つ年上の人だった。当時の時代背景を考えると、女性で4浪する人なんて誰もいなかった。本当は周りが発症前に異変に気付いて早めに手を打っていれば、とも思うが難しかったのかなあ・・・。それから発症直後に救急車で父親も一緒に病院に行っているのに、統合失調症を認めなかったというのもコトを重篤化したのかなぁ・・・。
今だったら誰もが病院に受診することや入院することを勧めるけど、当時の時代背景からするとやはり難しかったのかもしれない。自分自身のことを振り返ってみても、当時は産業医などもまだまだ整っていなかったような感じがする。誰も悪い人はいないのだけども、あのときに入院していればと思われる。TAKAKOさんの言う通りで家族同士だからこそ言えない事って本当にある。映画館の中には、家族連れで見に来ていた人もいた。親が福祉関係者なのかとも思ったけれど子供に感想を聞いていた。そんなふうに子供にもこの映画を観てもらうことは、とても意義があることのように感じた。子供も何かつらいことなどがあったら、すぐに親に話してほしいと思うしそんな観点からも子供にも是非見てほしいと思った。
今回のこの映画はドキュメンタリーということもあって、これまで精神疾患を持つ人間が家族と生きている様子をこんなにリアルに世の中に伝えた映画はなかったと思う。映画が社会全体に対して投げかけたメッセージは本当に意義深いものだったと思う。藤野監督と浅野制作の二人の功績は大きい。
人生において自分が軸にしていることは、二つある。ひとつは「人事を尽くして天命を待つ」とうこと。もうひとつは「照千一隅」と言って、1人1人が自分ができることを行うことで社会がよくなるということ。
TAKAKOさん:
普通の誰にだってあり得ることだなあって衝撃を受けた。姉は4浪までしていたが、それが両親の意思だったのか本人の意思でそうなったのかわからないが、いずれにしても相当なプレッシャーだったと思う。当時の時代背景を考えると大変だったのだろうなと感じてしまう。北海道のススキノの事件も精神科医のファミリー事件だったが、どこか環境や背景など同じような印象を持った。
ちょっと話は変わるが、救急車で運ばれた時って当時の時代で言うと医療保護入院だったのか措置入院だったのかどちらだろうか。この家族を見ると日本の家族のカタチの縮図みたいなところもあって、お互いに感じ合っているけど、言葉にしていないみたいなものもあったように思う。誰かのせいにすると楽なのだけど誰かのせいにはしないみたいな感じかな。母親という存在は強かったのだろうと思うし、姉は姉で最後の場面を見ていたら不幸とも言い切れなかったようにも思う。普段の自分の仕事をしている中でもそんなふうに感じることがよくあって、誰かのせいにすると楽なのだけど、実際は誰のせいでもないのだと思うことがよくある。
優性保護の運動に関しては自身も地元でやっていて、やはり本人の意思は大切だと感じている。それから先回りし過ぎない事の大切さに関しては、若いころの自身の経験として支援学校の教師をしていたときに、雨が降っている日に先回りし過ぎて障害を持つお子さんが濡れないような配慮をしていたら、親の方から「ウチの子は雨に濡れる権利もないのですか?」と言われたことがあって、今でもよく覚えている。自閉症を持つ子どもさんにとっては、ひょっとすると雨の中を雨に濡れながら歩くことも楽しいかもしれないし、自分からの「雨に濡らしてはいけない」という視点からだけでその人の権利を奪っていたのかもしれないと学んだことがある。
失敗してしまうかもしれない、少し傷つくこともあるかもしれないけれど大きなけがや命にかかわるようなことでない限り、その人がやりたいって言っている行動を簡単に奪ってはいけないと気づかされたことがある。今では失敗した後に「大丈夫?」って声をかけてあげたらいいのかなと思っている。自分は副施設長という立場もあるので、他の優しい職員さんが先回りし過ぎていろいろとやっているときに「もうちょっと待ってみようか」などの声掛けをするときがよくあって、職場の中では煙たがられている面もあるかもしれない。
それから自身の管轄と違う部署の利用者さんに時々会った時に、こちらから挨拶すると「こんにちは」って明るく応えてくれるのでその状況をその部署の職員さんに伝えたところ、「いや、それはたまに会うからだよ。」って言われてモヤモヤしていた時があった。もっと1人の人と人とで向き合うようにするといいんじゃないかなと思っていたので、合同でクリスマス会をやったときにみんなで一緒にフォークダンスのポルカを楽しく踊ったら利用者さんがとても喜んでくれたことがあった。
やっぱり人と人とがお互いに対等な人間同士として向き合って心が通じ合えたら笑顔が生まれるんだなって経験をした。対人支援に携わる者として、どんな利用者さんでも一瞬でも笑顔になってもらえるようなそんな瞬間をもっと作っていきたいと思っている。それからゲートキーパーの講座に最近参加したときに、「人に関わることの要諦は質よりも量だよ」って言われてなるほどと思った。「先ず人と繋がることが大切」とも言われて、自分何かやれることがあるな、って思えて、納得感を持って話をきけた。
それから身近な知り合いの話になるが、精神疾患を持ちながら自死をしてしまったお子さんがいた。母親の気持ちとしてはどんなカタチでもいいから生きていてほしかったという思いと、他の人の意見ではそれ以上母親を苦しめることはなかったのだから良かったんじゃないかという考えもあって、「どうしたらよかったか」という経験を身近でも感じたことがあった。母親としてはいつまでもお骨を自分の近くに置いておきたい気持ちがあったけど、周囲は早くお墓に入れるようにと言われたりして複雑な母親の心境に寄り添ったこともある。切ない気持ちになった。
こういうインパクトのある映画を観たりすると、仕事現場において自分の軸を持つようにしていないと揺さぶられてしまう。自分の場合は何が軸かというと、社会福祉士として精神保健福祉士として学んだことを軸にしている。「一番大変な人に焦点を当てて、一番大変な人が一番厳しい立場にある人を支援することが平等なんだよ」っていうことを最も大切にしている。それから、人生で大切にしている価値観は、マイノリティーと呼ばれている障がいを持つ人たちと一緒にいる方が楽しいし、学ばせてもらえるという感覚がある。障害を持っている人たちの方が心からすごいと思えることが多くて、だからそういう場所で仕事をしながら学ばせてもらっている感覚を持っている。目の前の困っている人には、寄り添いたいと思う。
本間さん:
自分自身は直接的にこういったケースの支援を行っているわけではないが、知り合いにいて似たようなところで苦しんでいるのかなと想像できた。今回の映画監督もいいか悪いか答えを出したいわけじゃないと言っていたし、広く含みを持たせて人の立場や見方や考え方を提示していたのかなと思う。今だったら入院するのが当たり前になっているが、当時はそうでないこともまだまだ当たり前だったのだろう。本人の視点から考えると、とてもストレスを抱え続ける環境だったのかなと思う。また両親が医者だったことから思うのは、当時の精神科医療の状況を知るからこそ統合失調症を認めないことも姉本人にとって幸せとの判断もあったのかもしれないとも感じた。自分の場合は仙台の映画館で観たわけだけど、どんな人が観客でいるのかということも関心があったのでぐるりと見てみたら後ろの方の観客は同業者のような感じだったような気がした。他に映画好きのオジサンとかもいたりして、どんな感想を持っているんだろうなと考えていた。
普段の仕事での利用者さんとの距離感という観点では、ナーバスな問題はその家族に対しても直接触れないようにするとかは配慮している。重いところには敢えて触れないようにするということもある。それから職員間の連携においては、特に高齢者と障害者ではお互いの領域分を尊重することに気を付けている。利用者に対しては、自立の観点からできる限りできることは自分でやってもらうことが必要と思って接することがある反面親切にやり過ぎてしまう人もいて、どちらが正解というわけではないけど先回りし過ぎないようには気をつけているところもある。また、それではひとつひとつ利用者の意思を確認して進めることができているかというと、そんなに余裕があるわけでもない。
そういった中でも、先回りしてやってあげたりする時にパターナリズムにならないように意識してやるということは大切である。過去の宮城県優生保護法への全県民運動に対する反省会(弁護士や社会福祉士、支援者が参加)に参加した際に、やはり本人の意思確認は大切という意見は出ていて、対象となっている方達に対して無言の圧力をかけないようにしようとの議論になっていたことを思い出した。オープンダイアローグにおいても本人との対話を通した意思確認が大切だと感じている。
自分が人生の軸にしているのは、困っている人を助けたい、役に立ちたいという思いで、介護業界に入ってきた背景があった。社会福祉士より精神保健福祉士の役割の方が明確なような感じがしている。自身の中でも社会福祉士としてどんなことができるのかというところではモヤモヤしている。
ネガティブケイパビリティという言葉があって、問題を解決しないことでどこまでその状態を維持できるか、という考え方で、答えを見つけるのではなくて留まって振り返ることで自分を見つけるということで、なるほどと思って勉強になった。専門家だから何でも解決できるでしょって求められて、人間だし揺らぐものだから何でも答えが見つかるものではないですよということ。専門性を向上させれば問題が解決するというとそうではなくて、ソーシャルワーカーとしていろいろな人と対話を積み重ねることなのかな、と思っている。
木坂さん:
自分の趣味で関係している知り合いの関係者がみずから命を絶たれたという連絡があって、ちょうど今電話して話をきいているところだった。知り合いには病院に行こうって話をしていたのだけども、なかなか病院に行けてなくて今のような結果になってしまった。
やっぱり早く病院に行っておけばよかったっていうところは映画と同じだった。それから「どうすればよかったか」って今も振り返って思う気持ちは映画と同じだな、って感じている。(木坂さんは電話中のためスポット参加となった)
大谷進行役:
統合失調症の家族だからこうなったではなく、どこの家族でも起こりうる話だな、というふうに感じている。パンフレットの中のオープンダイアローグのところに書いてあったけど、家族だからこそ言えないことがあったり、家族だからこそ先回りし過ぎてしまったりということは往々にしてあるように感じた。
パンフレットの20頁から抜粋すると、“「親が全て先回りして答えを出す」というのは、「特別な他者が全て先回りして答えを出す」ということです。本人の事を本人以外の人が先回りして考え、道筋をつけすぎてしまう状況。近しい特別な関係の他者からすれば、本人の意思がどんな方向なのか簡単にわかる状況ではない中、生活をともにしていく上での問題は逼迫し続けているため、本人の代わりに何かしらの判断しながら時を過ごしていくしかない気持ちになるのは当然とも言えます。”とあって、なるほど現実でもそうだよなあと思ったし、映画でもそうだったのかと気づくことができた。
それから実は今回の自由討論会に向けて、討論や研究を深めようと面白そうなテーマをいくつか自分なりに準備していたのだけど、結論的にそれをオープンにすることはしなかった。TAKAKOさんとやり取りを始めた当初に「自由に討論しましょう」って言われていてなるほどそれは大切だなとも感じていたし、パンフレット内にも書かれているオープンダイアローグの意味からも提示することを控えた。
オープンダイアローグでは「その人の体験や話を否定しない」「ジャッジしない」「説得やアドバイスをしない」「結論を出さない」「話を遮らない」「話は最後まで聞ききる」と言われていて、これってこの2年間に木村ゼミがつくりだしてきたゼミの特徴であり木村ゼミの心地よさだよなと思えて、それであまり勉強会のような感じにはしないように心がけた。
最後に浅野ゼミ長の「照千一隅」のお話はとても胸に刺さった。社会福祉士と精神保健福祉士と二つのソーシャルワーク資格を取得したものの何も成すことができないと感じる日々を過ごしてモヤモヤしていたので、改めて自分の足元から見つめて仕事をしていこうと思えた。
●終わりに
今回の自由討論会の最後に「TAKAKOさんが人生で大切にしていること」の話になりました。その時に、TAKAKOさんから「障害を持っている人たちの方が心からすごいと思えることが多くて、だからそういう場所で仕事をしながら学ばせてもらっている感覚を持っている。目の前の困っている人には、寄り添いたいと思う。」ときいた時に参加者メンバー一同に感動の空気が漂っていました。
それはきっと自由討論会の中でTAKAKOさんから「ポルカ」のエピソードや支援学校教諭時代の「ウチの子は雨に濡れる権利もないのですか」のお話を聞かせていただいたことから繋がっていたように感じています。
「こんな熱い思いを持った人が副施設長をやっている施設を見学してみたい・・・」
浅野ゼミ長、本間さん、大谷進行役の3人の心の声が湧きおこるのも自然な流れでした。
こうして今年の木村ゼミの訪問先をTAKAKOさんのお勤め先である「社会福祉法人川の郷」様にお願いすることが決まりました。すでにTAKAKOさんには理事長様の承認許可をとって頂いており誠に有難うございます。木村先生も大賛成とのことでした 😊。
今年はプチ木村ゼミからまさかの流れで第3回木村ゼミ訪問先が決定しましたが、川の郷様への見学を心より楽しみにしております。早くTAKAKOさんと一緒にポルカを踊りたいなぁ・・・と、今からワクワクしています。